昼と夜では別人のように心が変わる。昼間は男性的で夜は女性的という表現が一番わかりやすいと思う。男性的とか女性的という表現は抽象的すぎてあまり好きじゃないのだけど、的を射てると思う。

昼間の私は恋したいとか、誰かに会いたいとか、寂しいとか悲しいとか死にたいとかそんなことを考えない。

ただどうしたら現実が上手く回るか、それだけをひたすら考えている。

どうにかなるだろうって楽観的に物事を考えることができる(基本的には悲観的)し、一生このまま独りで生きていくことなんかにも肯定的。

どうせ誰にも理解されないのなら、理解されたいと思わなければいい。独りで生きていくことの何が悪いのだろう。そんなふうに物事を考える。

でも夜になると、色んなことが不安になるし、そんな不安を心地よく感じてる節だってある。この不安がなくなってしまったら、私は本当に一人になってしまうと思っている。

noteを書くのは基本的に夜眠る前で、ごちゃごちゃした心を落ち着かせるために書いてることが多い。だから取り留めのないものばかりだし、自己満足的に書いているから、これも含めて読みにくいものが多いと思う。

誰かの役に立ちたいとか、聞いてほしいとかそういう思いはほとんどなくて、ただただ自分のために文章を書いてる。

文字を書いてるときだけは自分じゃない誰かになれる気がする。その誰かが、本当の自分なのか、偽りの自分なのか、それとも全くの別人なのかはわからない。

noteの一人称が私なのだって自分じゃない誰かになりたいからなのだと思う。これが本当の私って考え方もあるんだろうけどけど、よくわからない。日の出てるときに読み返すと、気持ち悪い文章だなって思ったりする。

よく恋愛について書くけど、本当は恋愛なんて興味ないのに、恋愛について意味もなく悩んでるような気もする。なんて言うか心と体、現実と理想が乖離してきている。

例えば私が恋愛について考えるとき、理想の相手を想像することはできない。強いて言うなら私のことが好きであることくらいで、外見とか性格、性別までわからない。

私の恋愛対象は異性(女性)なのに、求めているのは男性的なものなんじゃないかと思うようになってきた。でも私は同性を好きになれない。恋愛的な面でいえば嫌悪に近い感情を抱いてる。

結局、自分にないものに憧れてるんだと思う。私の心はからっぽなのに散らかった部屋のようで、ないものがほしくなる。

自分にないものを相手に求めるのは違うと昼間の私は言う。努力すればいい。お金がないなら稼げばいいし、強さがないなら強くなればいい。美しくないなら美しくなればいい。

でもどうしようもないものってあるんだよ。はあ。心なんて、心なんて。