私の中にある冷たい場所
私の心には冷たく影になった部分がある。優しいねとよく言われるこの私の心にだ。
だから本当の意味で優しい人などいない、というのが私の考えで、そう思うようになってから人を見る目が変わってしまった。
私は人に対してとても冷たい感情を持つことができる。カッとなって怒ってしまうとかそういう熱を持った感情ではなく冷たい感情。
その感情は好き嫌い関係なしとまではいかないけれど誰にだって向く。すっと心が冷たくなって思いつく一番の言葉で切りつけるという気分になる。
その感情を実際に言葉にしたことはないと思う。カッとなるわけじゃないから冷静で理性が効くし、そんな頻繁に抱くものでもない。
実際そういうときはたぶん黙ってしまうことが多い。この言葉を言うと相手を傷つけることになるし、それは望ましいことじゃないから。
でもいつかこの私の中にある冷たい部分が顔を出すことがあるかもしれない。私はそれが怖い。どんなに仲のいい人でも、前触れもなく突然どうでもいいや、と思えてしまうのだ。
私は人と仲良くなればなるほど、その人に対して冷たくなる。声のトーンは下がるし、気を使った行動は減るし、どうでもいいと思うことも増える。
それはこの冷たい部分に近づいている証拠なのだろうか。だとしたらとても怖い。
少し話は変わるけど、人に期待しないで生きるというのは、人を見下して生きるということなんじゃないだろうか。この人はどうせ何もしないだろうという諦めはその人を見下しているのではないだろうか。
私はどちらかというと、人に期待しない方ではあると思っている。人を下に見ているというか、この人は私に何も与えてはくれないだろうと大抵の人に対して思っている。
そういう人に対して何かを与えるのは無駄だろうみたいな考えが根底にあって、だから人に対して冷たくなってしまうのかもしれない。本当に良くないと思う。
だいぶ前に友達から本を勧められた。私はその本をその日に買って、会う約束をしていた日までの一週間で読み切った。
それで当然会ったときに感想を言うわけなんだけど、あまり面白くなったから正直にそう伝えた。話題に出さないという選択肢もあったのだけど、それは誠実じゃないような気がした。
友達は「自分はこういうところがおもしろかったんだよね」と言ってくれ、本当に申し訳ないことをしたなと思った。話が上手くて良い人というのはああいう人のことを指すのだろう。私にはもったいない気がするし、どうしてもわたしなんかを誘うのだろう……?
私の感想を正直に言おうか迷って、曖昧に返事をしてしまった。素直な感想としては終始話が浅く感じて、作者と根底の価値観が違うように思えた、というもので、もちろんこんなストレートには言わないけど、何かもっと否定的なものになってしまうけど言えることはあったと思う。
まあいっか、と面倒になってしまったのだ。どうせ理解されない。そう思ってしまった。
でもいま思えば、そういうのは不誠実であったと思う。私は友人から私を理解するチャンスを奪ってしまったのだ。
その小説に持った感情は私の冷たい部分のそれで、だから外に出すのを躊躇ってしまった。その人を傷つけてしまうのではないかと。
でもその部分も私なのだから上手く外へ出していくべきなのだろうか。私の全部を受け止めて、というのは何だか自分勝手に思えてしまう。
そういえばその小説には一文だけハッとするような比喩があった。でもそれも理解されないだろうな、と勝手に思い言葉にすることができなかった。
この文章にハッとする感受性は私の良いところだと思っているのだけれど、そこは私の冷たい部分のとても近くにある(小説に対してムッとしてしまうのはこの感受性のせいなのではないかと思ってる)。だから上手く外に出すことが難しい。
長くなってしまったけど、まずは私の良いところをなるべく外に出していきたいと思う。