大学三年のころコース(学科?)横断のチームでアプリ開発的なことをやりましょうという授業があった。私はエンジニアのコースなので、アプリ開発のメインの部分を担当して、泣きながらごみみたいなアプリを作った。

「こういうアプリを作れたらいいよね」「ごめんなさい、それは私にはできません」みたいなやり取りを重ねて、これならなんとかできるでしょうみたいなもの。

卒業制作(卒論)はチャットGPTに手伝ってもらったので、そのときは本当にちょうど生成AIが出る前で、もう一年あとだったら私のごみアプリはもう少しまともなものになっていただろうし、心細い思いをして泣きながら作らなくても済んだと思う。

で、今の大学生はどうしているんだろう?とclaude codeでアプリを作ってもらいながら思った。私の半年かけたアプリはリサーチとかそういう作業も含めて三時間もあれば作れるだろうし、アプリの中身なんて10分できる。しかもクオリティは全然AIの方が高い。

いまそういう授業をやるとなると生成AIを使わざるを得ないと思うのだけど、どうやっているのだろう?使ったうえでどういうものを作るか、という評価基準に代わっているのだろうか?わからないけど、すごい時代だなと思う。

私のアプリの発表の時はクラスで間違いなく一番ひどいものだった。エンジニア系の人がいないチームもあって、そこはノーコードでサイトを作るみたいなサービスを利用していて、すごいきれいな見た目のものを作ってた。私はそんな便利なものがあるなんて知らなかった。真面目に授業で習ったHTMLとCSSとpythonで授業の資料を見返しながら必死に作った。

私はあのころからそういった面では全く成長していないのだけど、今だったら本当に100倍くらい良いもの作れると思う。変な時代になったよなと思いつつ、私が最後の世代というか、本当に境目なんだろうなと思う。

何が言いたいのか、自分でもわからないけど、なんというかAIによって身体性みたいなものは本当になくなってきていて、画一的になっていくんだろうなと思う。

昨今の脆弱性だとか情報漏洩とかの騒ぎで、私はせっせとパスワードを変えたりして、今日は本当にその騒動に巻き込まれてうんざりなんだけど、そういうインターネット的なものから離れて、夜眠る前に本を読むとすごい変な感じがして、なんだこれ!手で触れるぞ!みたいな気分になった。読んでる本も「嵐が丘」で200年位前の小説で、牛乳売りの少年に手紙を渡して向いの屋敷の少年と文通してたりする。それで手紙を隠していた引き出しがばれて全部燃やされるのだけど、セキュリティが信じられないくらい甘いし、その牛乳売りは信頼できるんですか?と思う。それで現実はAWSのデータセンターが爆撃されて、データが吹っ飛んだみたいな話を聞いたりする。

なんだかよくわからない世界だなと思う。