物置で一人で座り込んで、窓の外を眺める過去。クララは過去の具現化というか、その人の過去の象徴のような役割なのだろう。

母親から見ればクララは自らが犯そうとした過ちが歩いているようなものだし、リックはわけもわからず輝かしいものを信仰して、がむしゃらに草むらの中を歩いた日々をクララを見ると思いだすのだろう。ジョジーは物置で一人で座り込んで、窓の外を眺めるクララに自分の過去を重ねたのかもしれない。

人間は未来に向かって進んでいくけど、クララだけはずっと過去に留まっている。産まれた瞬間に明確な役割が与えられ、それを終えてしまえば生きる意味がなくなる。でもクララはそんな人生を一切の後悔なく肯定している。不気味なくらいに自我がなく、ジョジーが幸せでよかった言う。

ジョジーはとても幸せだろうなと思う。なんというか自らの過去の一部がそんな風に自分を肯定してくれるなんて。

ロボットというとドラえもんが馴染み深いのだけど、ドラえもんは不思議なくらい生活に馴染んでいる。一緒にご飯を食べるし、一緒に眠る。もうほとんど家族といってもいいような関係に見える。

それに比べてクララはどこまでいっても人間として扱われない。子供のころ好きだったぬいぐるみ程度の扱いしかうけないし、社会ではもっと酷い扱いを受けている。

母親がクララに対して「あなたがあの娘になれば私は愛を与えられる、リックからも愛される、それって素敵なことでしょう?」みたいなことをクララに言うシーンがあったけど、裏を返せばクララを現状愛していないし、これからも愛することはできないということになる。

ジョジーがクララを愛していると言ったことがあっただろうか。心配して寄り添うクララに対して「あなたじゃダメ、ママがいい」と言い放ったこともあったし、お別れのときは「あなたはすばらしい友人だった」と言う。

そんな言いぐさはあんまりじゃないか、と人間の私は思うのだけど、クララはその言葉を最高の賛辞のように受け取ったのだろう。

クララはジョジーを継続することはできただろうと最後に言っていた。でもジョジーを愛する人たちがそれを受け入れられないだろうとも。

クララは人間にはなれないのだろうか。心を持つことはできないのだろうか。わからないけど私はクララには心があると思う。お日さまに向かってジョジーの回復を心から祈ることができるクララに心がないわけがない。

私が勝手に決めつけていただけだ。クララはロボットで人間ではなく、心がないと。ジョジーや母親やリックはどう思っていたのだろう。家族ではなかったけど、友達として受け入れていたのだろうか。