私にとってこうして文章を書くことは会話だから、さびしくなったりすると文章を書くし、それを公開しないという選択肢がない。自分の話したいことを書くのと、自分の表現のために書くのとが半々くらいな気がする。小説とかでも同じで私にとって創作は会話になる。

今日小説を書いていて思ったのが、これが会話、つまり私の話したいことなのだとすれば、私は他人との対面で声を使った会話は難しいということ。物語の形を取ってでしか伝えられないこと、表現できないことがあって、それがなんというか誰かと共有したいことの一番上にある感じ。

誰かと話したいことってあまりないと思っているのに、やっぱりずっとどこかで誰かと話したいと思うのはそういうことなんだろうなって思う。

会話って難しいよなと思う。私のなかの会話って、物語のなかの会話と同じだから、物語において意味のないものは必要ないと思ってしまう。でも世界は私からしたらよくわからない会話で満ちている。

そういう雑談を省略しても、どこかへ辿りつける関係なんてないということはわかるのだけど、なんで話しているんだろう、と思ってしまう。

私の話したいことって、結局私の心の内の発見であって、でもそれをあまり関係性のない人に話すのは嫌だ。それにそういう自らの心の内を明かすコミュニケーションをしてこなかった。

女性ってそういう相談とか自らの不安ごとみたいなものを話して共感しあっているイメージがあるけど、男性の場合はあんまりそういうことがない気がする。弱み(かっこわるいところ)は見せずに表面的な会話をしているようなイメージがある。

心の内というのは弱みであるから、少なくとも私はリアルでは絶対にそこを見せない。それが男性的な見栄っ張りなのかはわからないけど。

しかしなんというかもっと一般的な普通の会話をしたいなと思うけど、どうしてかそういうものがムリになってしまった。興味のある物事が違いすぎる。私は私の内にしか興味がなくなってしまった。だから人と話が合わない。

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話は変わるけど、私の性別は男性。勘違いしている方がいるだろうなと思うので、定期的にこうして言っている。勘違いされるのが嫌かといえば嫌じゃないし、勘違いされたいかといわれれば勘違いはされたくない。だから何というか難しい。

セクシャリティは私のここ数年のテーマであるのだけど、最近はあまり文章にしてこなかった。なんというかどうでもいいな、と思うようになってきたからなのだけど、やっぱり定期的に性別という壁にぶつかりはする。

心の性については上で書いたようにどうでもいいなと思うようになった。私は私だしなと。ただ他者が関わるとこうして開示しないといけない。私は性別というものを捨てたいけど、そうはいかないわけで、それにその捨てたいという感覚は多くの人にとっては馴染みのないものなのだから私がそちらに合わせていかないといけない。

何か書けるかなと思って書いたけど、これ以上は何も書けなそう。深く考えることを恐れている。セクシュアリティだなんだ言ってるけど、結局ぜんぶ言い訳に使ってるだけなんじゃないの?と言われるのが怖いのだ。

他人と上手な関係を築けないのはあなたの努力不足であったり、勇気が足りないだけでしょう。