日記 小説、
午前中は小説を書いて、書けなくて、私はなんで生きてるんだろうなという気分になる。小説を書けないのを社会人になったせいにしているけど(もちろんそれもあるけど)、たぶん書くことがなくなったというのが大きい気がする。
私が小説をいちばん書いていたのはたぶん大学の1、2年生のころで、そのころと特に忙しさの変わらない3、4年生のころはあまり書けなかった。
以前も書いたけど、依存先が少ないのはよくない。もっと学生時代に新しい趣味を作っておくべきだったと後悔している。社会人になってから新しいことを始めるというのはなかなか難しい。
大学時代に何をやっていたか、本当に思いだせない。小説を書いていた時間以外、虚無だったのだと思う。小説が私に「あなたは私だけがいればいいの」と言ってきてそれを鵜吞みにした。今更別れることなんてできないし、そもそも小説より好きになるものがこの世にあるとは思えない。でもときどきほんとに嫌になるというか、虚無になる。
休みの日何をやってますか?みたいな質問を人と関わるようになってからよくされる。私は小説を書くか、読むか、文章を書くか、ゲームをするかなんだけど、小説を書いていることは言いたくないし、あんまりゲームの話もしたくないから、本を読んでると答える。みんな文章を書いていることを人に言っているのだろうか?気になる。
図書館に行って、本を返す。パソコンでこの図書館の蔵書を検索した。ここにあるハンガンはぜんぶ読んでしまったみたいだ。ここからは自分で買うしかない。もともと買うつもりではあるから問題はないのだけど、お金を使うのも、物が増えるのもちょっと憂鬱。かといって何度も読む本を電子で買うのも嫌なので、うーんという感じ。
返しに行くのがめんどうだから何も借りないつもりで来たのに、いつもタダだからという理由で何か借りてきてしまう。今日は村上春樹のエッセイが目に入って手に取った。
実家より安心する文章。小説をエッセイの文体があんまり変わらないから、本当にあのまんま生きてるんだろうなという感じがする。将来は村上春樹みたいなおじさんになりたい。
その隣に村田沙耶香のエッセイがあって、エッセイとか書くんだと思った。売れっ子作家なのでそりゃあ書くだろうけど、なんか小説のイメージが強い。文章を読んでかわいらしい文体だなあと思う。少女がそのまま大人になったみたいな感じ。
私は19とか20のころに村田沙耶香をひたすら読んでた時期があって、そのときに自分の性に対する価値観をバラバラに壊された経験がある。だからやっぱり小説のイメージがすごく強い。なんというかコンクリートでできた白い病室みたいな文章。彼女の文体はなんか病院みたいなイメージがある。気が滅入るような匂いや、清潔さと汚さが奇妙なバランスで成り立っている感じとか、目を背けるべきでない、自らの身に起こりうるという事実とか。
だからエッセイをぱらぱら読んで、最初はこんな文章を書くんだと思ったのだけど、次第にこんな文章を書く人だったなあとも思った。前にテレビかなにかで見たときこんな雰囲気で笑っていたことを思いだす。素敵な人。
なんかよくわからないけど年上の女性が好き。歳の近い人たちは何を考えているかわからないから苦手。