どうしてこの部屋はこんなに寒いのだろうと思う。外は綺麗に晴れて、太陽の光が燦々と降り注いでいるのに私の部屋には届かない。

比喩じゃない。文字通り寒い。今もタオルケットをかぶっている。冬はもっと寒かった。でも凍えるほどではない。いまもそう。室温が低いわけじゃないはずなのに、どうしてか体の芯が寒さを訴えている。

この部屋に引っ越してきた一年前の四月に、日の一切当たらない北側の部屋でひとり眠っていたことを思いだす。四月だというのにヒーターをつけて、毛布を頭までかぶっているのに寒かった。何かが間違っているのだろうか?私はわけもわからず震えていた。

次第にこの部屋が寒いのだということに気づく。だから日の当たるリビングに寝床を移し、北側の部屋は物置にした。物置といっても引っ越したばかりで、私は物を持たないから、その部屋にはいまも物はほとんど置かれていない。

さむいな、さむいなと思いながら、ときどき口にしながら、本を読んで過ごした。じっとしているからさむいのかもしれない、もしくは読んでる本が寒いのかもしれない(ずっと大雪の描写が続いていた)、と思って近くの公園まで車で行くことにした。

外は心地よい気温だったけど、風のない車中は初夏のように暑かった。薄っすら汗をかきながら運転する。なんだか薄暗い洞窟から出てきたみたいな妙な感覚がする。公園は家族連れで溢れかえっていた。駐車場はどこもいっぱいで停めることができなかった。だからめんどくさくなって、家に帰ってきてしまった。

ドアを開けると部屋はいつもどこか薄暗い。薄っすらかいていた汗は次第にひき、またさむいとつぶやきながら本を読みすすめる。

私は孤独に慣れすぎてしまっていると思った。どんなにさむくても、私はたださむいと思うだけで、何か、例えば他人の体温などを望んだりしない。

最近は家のなかにいるときでも耳栓をするようになった。大きく何かが変わるわけじゃないのだけど、静かなところに身を置きたかった。誰かの感情によって心を動かされたくなくて、よく見ていたエンタメ的なYouTubeチャンネル見なくなった。かといってそういったものを全く見なくなったわけじゃない。最近見始めたチャンネルもある。というかいまはそれしか見ていない。昔のことを思いだしたくないからかわからないけど、私から近くも遠くもないものを見てる。

人から勧められたものだと、それを見ているときその人のことをどこかで考えてしまう。それと同じような感じで、昔の自分を感じたくないのかもしれない。

もっと孤独になりたいという思いと、孤独になりたくない、誰かと関わりたい、何かしたいという思いが交互にやってくる。

このさむい部屋から出なきゃ、日の当たるところに行かなきゃ、でも眠い、ここで眠りたいと低体温症者のように思う。