土曜日、日曜日とずっと小説のことを考えている休日だった。コンテストの締め切りが明日あって、明日は仕事なので時間的に昨日今日で何とかするしかなかった。ツイッターで私の小説を読んで感想をくださいと言ったら、ふたりの方が読んで、すごく丁寧な感想をくれた。すごくうれしかったし、参考になった。

色んな人が書いたものは読んでもらえと言っている理由がわかった気がする。自分にない視点が当たり前だけど他人にはあるし、自分ではわからない長所や短所を教えてもらえる。ずっとひとりで作ってきた人間だし、これからもひとりでつくっていくことに変わりはないだろうけど、他人と関わっていくことの大切さを実感する。あと、複数人で何かをつくることもやってみたいなとも思った。

小説を投稿して散歩に行く。もう何がよくて、何が悪いのかわからなくなってきたので投稿してしまった。

近所に荒れ果てた川が流れているのだけど、私はよくそこを歩く。川に沿って一本道をずっと歩いていく。左側には綺麗な住宅地があって、右は大きな道路が通っている。それらに挟まれるようにして川と田んぼがある。

今日だけで毛虫を20匹くらい見た。茶色いやつ。見るたびに鳥肌がたった。草むらに隠れていればいいものをどういうわけか道路を横断してる。もう当分はあの道を歩かないことにする。

歩いていたらカワウソみたいな小動物に会った。リスにしては大きくて、たぬきにしては小さくて細長かった。私はそんな田舎に住んでたっけ?と思ったけど、前はたぬきを見たし、毎朝ウグイスが鳴いている。私の住んでる周りには結構いろんな動物がいるっぽい。

住宅地では中学生くらいの子がひとりでテニスをしていた。はじめは壁打ちをしてるのかなと思ったけど、どうにもボールの軌道がおかしくて、ボールにゴムひもをつけて打ったら戻ってくるやつか、と気づいた。

私は中学時代テニス部だったのでそれを持ってた。くそつまらなくて1時間くらいでやめた記憶がある。テニス部に入ってすぐだからちょうど今くらいの時期で、いちばんテニスのやる気があったころ。2、3か月後にはやる気なんてなくなっていたけど、部活は楽しかった。

少し歩いたら今度は川で遊んでいる中学生のグループがいた。パンツ一丁でなにかをやっている。この川に入ってるの……ヘドロみたいなにおいするけど、と思う。

子供のころみんなで川で遊ぶみたいなのは憧れではあった。でもそんな川はなかった。まあ、誘われても私は断ってただろうなと思う。行っても川には入らず見てるだけだっただろうな。私はそういう子供だった。いまもそういう人間だけど。

飛行機がすごく低いところを飛んでいる。電車の線路が川を横切るように通っていて、その下を歩いて抜けると住宅地はなくなりちょっとした森がある。

手入れがされていない森を見るたび、入っていきたいなという誘惑に駆られる。誰も人がいないところへ行きたい。子供のころだったら好奇心に負けて入っていってるのかななんて考えたけど、好奇心が理性に勝っていた時代なんて私にはなかった。

子供のころ自転車に自由に乗れるようになったことがうれしくて、ひとりで自転車に乗って当てもなくうろうろしたことがある。両親にはきちんと承諾を取ったのだけど、そのことが近くに住んでる祖母の耳に入ったらしく、どういうわけかすごく心配された。そういうことがめんどくさくて、それ以来遊びに行くとき以外はわけもなく出歩かなくなった。

高架下(という言い方があっているのかわからないけど)のトンネルには色んな落書きがされている。よくわからない丸っこい英語?とかおっぱいとか電話番号が書かれている。こういうヤンキーとか男子中学生の感性っていつの時代も変わらないんだなあと不思議に思う。

私はホモソーシャルに交れなかった人間だから、そういうものがどこかうらやましかったりする。でも結局ずっとホモソのノリはよくわからないまま生きてる。小中高大社会人とずっとホモソ的なものはあって、どれも形は違うのだけどほんとにずっと馴染めない。でもだからといって女性がつくるそういったものに馴染めるかと言われれば馴染めなかったと思うでの、私は社会が向いていないのだと思う。

帰り道、釣りをしてる人がいた。何か釣れるのだろうか?どうぶつの森だったらフナとか釣れそう(フナっこ フナっこ!)。あとはブラックバスとか(何センチ? 何センチ?)。ちなみに川の向こう側だったのでよく見えなかったのだけど、釣り人ではなく長いリードで犬を遊ばせてる人だった。

川沿いにずっと菜の花が咲いている。地元も菜の花がたくさん咲いていて、菜の花のにおいを嗅ぐと春って感じがする。