日記について考えよう
日記を書きたいと思うけど、平日の私には日常がない。自慢じゃないけど平日はまったくといっていいほど変わらない生活をしている。だから日記として書くことがない。休日は家から出るので何かしらは日記として書くことができる。
ただ、昨日のように書きたいものが出てきてしまうとそちらを優先せざる負えない。書きたいものを書いて、日記も書くみたいなことはできない。
そもそも私は外に出すために文章を書いてる。誰にも見せない文章というのは基本的にはない。書いたものは全部どこかしらに公開してる。内側に隠しておく必要がないというか、それなら頭の中にとどめておくのと変わらないんじゃないかと思ってしまう。どうせ大抵のことは書いたそばから忘れてしまうのだから、内側で腐らせるなら外に出して人目に触れさせた方が腐りにくい気がする。
私がどうして最近、日記として文章を書いているのかというと外界への解像度を上げたいからだ。考えごとばかりしてそれをただ書き起こしていると、自らの内側で世界が完結してしまう。だからもっと外の世界を見て、世界への解像度を上げていきたい。
過ぎ去っていく日常を切り取って心に留めておけるようになりたい。些細なことやくだらないことでも、それが印象に残れば世界は少しずつ変わっていくと思っている。世界というのは自分が見たものだけで構成されているのだから。
日記は自分が見たものしか書けないから価値があるのだと思う。嘘はつけない。だから日常に目を凝らし、耳を澄ませるようになる。そうすることで世界に色が増え、新たな形を知り、解像度が上がっていくのだと思う。
そして日記は記憶を脚色することができる。今日がいい日だった理由を書き連ねれば今日がいい日になるのだ。そこに嘘偽りは書けないから。
だから私は日記に負の感情を書きたくないと思っている。例えば友達にムカついたとして、彼のことが嫌いだと日記に書いたら、それが本当になってしまうのではないかという恐怖がある。私が悪意を持っていたという事実を外に出したことで、それが明確な形を持ってしまうような気がする。
日記にはまあ私の人生もそこまで悪くないって、自らの人生を肯定していく力があると私は信じてる。