いいねいいねよくないね
ツイッターでくだらないことをつぶやいて、いいねがひとつも来ないことってざらにあるんだけど、そんなときによく孤独を感じる。
ああ、私はここでもひとりなんだ。誰も私のことに興味ないんだって。自分が自分のツイートを見つけたら、間違いなくいいねを押すのに誰も押さないということは私の価値観には誰も共感しないってことだ。
SNSでのいいねやフォローについてよく考える。
ツイッターでいいねが来ないから、noteでつぶやいてみたけれど、あまりいいねが来ずちょっと落ち込む。でも、noteは短い文章を読みに来てるわけじゃないから仕方ないよなと思い、のそのそとツイッターに戻る。
いいねが来ないと言ってもゼロではなかった。それなのにいいねが来ないだとか少ないだとか言うのはその人たちにすごく失礼な気がする。私だったら、私がいるよ!私が押した!いいねした!って思う。
逆に数が多くなりすぎたらどうなのだろうってよく考える。例えばすべての投稿に100とかいいねがつく人。その中の一人に私がいて、私のことはその人に見えてるのだろうか?という気分になる。
私がやってるSNS系のサービスで、いちばんいいねがつくのはこのnote。だいたい10くらいのいいねがつく。もう3年とかやり続けてるけど、結構うれしい。
それでもぜんぶの人は追い切れない。いいねしてくれた人は似たような価値観の人が多いから、なるべく記事を見に行きたいのだけど難しい。
noteのフォローまでのやり取りっておもしろいなと思う。いいねが来て、いいねを返して、またいいねが来て、いいねを返して、フォローしたらフォロー返ってくるかな、もうそろそろフォローしてもいいかなと思い、ちょっとドキドキでフォローを送る。返ってきたらうれしいし、返ってこなければ落ちこむ。
いいねの基準もフォローの基準も人によって違うから難しい。私のnoteでのいいねの基準はフォローしてる人には「ぜんぶ読んだよ〜」くらいの感覚、フォローしてない人には「好きだなあ」という感覚。
ただもっと軽い感覚でいいねやフォローする人もいるし、逆にもっと大切にいいねやフォローを押す人もいる。その感覚の判断がつかないから難しい。
私はどうしても自分に自信がないから、私にいいねを送ってくれる人は慈善活動みたいにみんなにいいねを配り歩いてるんだと思ってしまう。
なんだってそうで、コメントをもらっても私が惨めでかわいそうだからコメントをしてくれたのだと思ってしまう。
でもこれは相手の好意の価値を低く見てるわけだからよくない。治さなくてはいけないと思いつつも、どうしても他人から多少なりとも好意を向けられるということが上手く理解できない。
たかがいいねで落ち込んだりするのは馬鹿げている。ただ私にとってはたかがいいねとは言えないくらいの価値になっているのだ。あなたにはわからないだろうけど。
ときどき書きたくないって思うことがある。それはいいねをもらうこと、もらえないこと、それに一喜一憂することにうんざりしてしまったときが多い。そういうときは何日か書かないでいる。
私はいいね中毒というかいいねに依存しているので、何日か経ったらまた書き始める。
SNS自体が嫌になることも当然ある。見てるだけで気分が滅入るようなつぶやきが流れてきてうんざりすることもあるし、逆に刺激が足りないよと欲求不満的になってその状態にうんざりしたりする。
SNSからいなくなる人は他に居場所があるのだと羨ましく思う。私は1週間離れたら間違いなく孤独で気が狂う。
たかがいいね、たかがフォロー、たかがネット上での関係。悲しくはないけど寂しくはあるよね。