憂鬱だけど選挙に行った
選挙は苦手だ。何かを選ぶという行為がまず苦手だし、そもそも選挙に行きなさいと色んなところから強制されるのが嫌だった。
どうして私の行動を決められないといけないのか、そしてそれが正しさを帯びていることが嫌で選挙期間中はいつも憂鬱になった。
以前一度だけ選挙に行ったことがある。いつだったかは忘れたけど、母に連れられて選挙に行った。テキトーに知ってる名前を書いて投票した。そのときはふーんこんなものかと思った。
今回も二週間くらい前までは行かないつもりだった。上で書いたようになんだか本当に憂鬱で、どうしてこんな思いをしなければいけないのだろうと憤っていた。とりあえずツイッターで選挙に関するワードをミュートにして(それでも貫通してきた)、いっさいに耳を傾けず日々を過ごした。
それから次第に行ってもいいんじゃないかと思うようになった。選挙の案内?が届いて、私にも届くんだと急に当事者意識が芽生えたというか、なんというかまあ気分が楽になったのだ。だから当日に考えればいいやと思った。行きたくなければ、行かなければいい。憂鬱な思いをしてまで行かなければいけない場所なんてないと思ってる。
今日の朝、気分的にも問題なさそうだったので、選挙について少し調べた。立候補者とか政党とかそういうこと。無知も無知で正直選挙の仕組みもよくわかっていない。とりあえず公約?のようなものを読み、一番文章の上手い人に入れることにした。私は自分のそういう勘をわりと頼りにしてる。
政党の方は政党マッチングサイトのようなもので決めた。なんだか安易でこんなんでいいのかと不安になるけど、色んな人が行くことが大切だと言っている。そういう都合のいい言葉はやっぱり助かる。
正直、軽く調べた限りではどこでもいいなと思ってしまう。社会に求めることなんて何もない。それならそういう政党に入れればいいのだろうけど、今回はそこまで調べる気力がなかった。たぶん調べて、その結果見つからなかったら選挙に行けてなかったと思う。
やっぱりできるだけ社会と関わらないで生きていきたいと思っている。手の届く範囲でほんとに小さく生きていきたい。自分の手が届かない範囲のことを考えるのは本当に苦痛で憂鬱になる。私のことは放っておいて勝手にやってくれと思う。
私はそんな正しさに病まされるのが嫌で選挙に行った。あと、最近の若者という言葉でくくられるのが嫌だからという理由。行くことがある種のアイデンティティになるのなら行った方がいいと思った。たぶん若者がみんな当たり前に行く社会だったら私は行かなかったと思う。
選挙に行ってよかったこともあった。小学校に入れたのが個人的にはうれしかった。地元じゃない小学校に入る経験ってそんなにできない。
教室で投票したのだけど、部屋は全体的に一回りくらいイメージより小さくて、なんだかちょっとした巨人になったように思えた。ここで小学生たちが勉強しているのかと思うと、私は本当に大人になったのだと感じた。
廊下にはマジで何を描いたのかわからない絵がたくさん飾ってあった。あと「納豆はむかし何に入れられていたでしょう」という問題が掲示してあった。答えは「藁」とすぐにわかったけど、「むかし」という言葉に引っ掛かった。
たしかに藁に入った納豆は見たことないけど、納豆は未だに藁に入ってるイメージがある。だからむかしという表現はしっくりこなかった。もしかしたら今の小学生は藁を見たことがないのかもしれない。
何の話だっけ、そう、選挙の話。
私にも私なりに社会や政治に関する考え?のようなものはある。でもそれをきちんと言語化して調べるほどの気力が今はない。また次の機会に少しずつ調べていけたらと思う。
何だか文化祭みたいだなってふと思った。普段は教室の輪の外に居るけど、あの数日だけは輪の中に入ったような気がする。やっぱり社会とは距離を取りたいと思う。それでもどうしてもこの国で生きているなら、関わらなければいけない場面はある。社会と上手に付き合っていきたいと思う。
マシュマロ
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