雑談(才能がなきゃ愛されない、生きづらさ)
才能がなきゃ愛されない。大きなものでなくても何かしらの才能を示さなければ好かれないという思いがある。
私はいったい何を差し出せるだろうかとよく考える。何か相手にとって価値のあるものを差し出さなければいけない。いまの私には差し出せるものは文章しかない。私の文才に魅かれている人がいるとは思わないけど、退屈ではない程度の文章が暇を埋めているのだとしたら価値のあるものを差し出せているのだと思う。
「どうして私なんかと関わってくれるの」と聞いて回りたくなるときがある。だって他にも友達なり関わりのある人はいるでしょう?って。どうして私なの?
私の何が面白いのだろう。何の取柄もないし、話すのも下手くそだし、薄情だし、いいところなんてひとつも思い浮かばない。私から何かアプローチをしたことだって記憶上にはない。それでも私のことを覚えてくれている人がいるのは不思議で仕方ない。
でもいつかはみんないなくなってしまうのだと思っている。私はそれが怖くて仕方ないのに、どこかでそれを望んでいる節がある。
もし私の疑問に答えられるなら教えてほしい。私はそれを自らの価値として大事に抱えて生きていくから。
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生きづらさ
生きづらさとはなんだろう。人によって違うと思うし、みんな生きづらいと思う。私は生きづらいと思ったことがなかった。私の人生こんなものだろう。生きづらいのが当たり前だったというか、生きやすい世界を上手く想像できなかった。
色んな生きづらさがある。例えばちょっとしたことでひどく落ち込んでしまうとか、周りの目がとても気になってしまうみたいな。
私自身もちょっとしたことでひどく落ち込む。この前だって、ここに電話くださいというから電話を掛けたら、向こうサイドの連携が上手くいってなかったのか「わざわざ電話かけなくていいですよ」みたいなことを言われて、すごく何とも言えない気持ちになった。電話大嫌い。
そういうことでいちいち落ち込んでるのって馬鹿みたいだし、たぶん努力でなんとかできる範囲だから改善していかなきゃと思う。
この前、服を買いに行った。そしたら私に合うサイズがほとんどなかった。私が小さいから。こういうのも生きづらさだよなと私はそのとき思った。これいいなと思ってもそこでは買えない(ネットにはあると思う)。
そういうのって疎外感を感じる。私は客に含まれてないんだって。
疎外感というのは私の最近のテーマで、よく考えている。どこに居ても疎外感を感じる。上手く言えないけど、この世界には私がいないことになっているという感覚。服の話に戻ると、私はいつも欲しいと思えるデザインのものがない。
食べ物もそう。何を食べてもそこには私の嫌いなものが入っている。そういうのってじわじわと心のどこかを殺していく。食べ物の好き嫌いは悪というのが世間一般の当たり前の認識だから特に。
別にそれをどうこうしてほしいわけじゃなくて、ただ人によって生きづらさは違うからすべてに対応することはできない。
私は自分の身長に対するコンプレックスってあんまりないからそこに生きづらさは感じていない。でも私より背が大きいのにコンプレックスを感じている人はたくさんいる。
人によって生きづらさというのは様々なのに、生きづらさとひとくくりで言うのはどうなんだろうとよく思う。私の方が生きづらいとか、たかがそんなことで、みたいな考え方はやめたい。みんな生きづらいのだ。だから生きづらいという言葉はあまり使いたくない。
マシュマロ
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