何者かに
何者かにならなくちゃいけないと思っていた。それっていま思うと自分を否定してきたものたちへの復讐というか見返してやるみたいな意味だったんだと思う。
学校がずっと嫌いで、何が嫌いなんだろうって思って考えてみた。noteを読んでて、いまが卒業シーズンなのだと知った。私も卒業生なのに。大学の卒業式には行かないつもり。大学に恨みはないし、嫌いでもないのだけど行く意味がわからないし、式というものが好きじゃない。行ってもいいのだけどね、行かなくてもいいなら行かないよ。
高校の卒業式のとき、やっと終わったと思ったの私だけだっただろうか。みんな泣きながらね、別れを惜しんで写真を撮りあっていた。ああ、浅春(青春の誤字)と思った。馬鹿にしてるわけじゃないよ、あこがれてた。もっと外から見てたかった。そしたらきっともっと美しかった。
何ていうかそういうのを見てると私は存在していないんだって思った。数に入ってない。何でもそうなんだけど、「みんな楽しみにしてる文化祭」みたいに言い切られちゃうと、そのみんなの中に私はいないんだって思って疎外感を感じ続けてきた。泣きながら血流して両足引きづりながら立ってる私がいますよ!
別にそんなつもりはないってわかってるけど、でも「楽しみにしてない人もいるよな」って一瞬でも考えたことあったのかな。その一瞬で十分なのに。
イベントごとに限らず、学校は普通じゃない人を外に追いやる空気みたいなものをひしひしと感じた。不登校の人とかはいないものとして扱われるし、成績の良い生徒と悪い生徒じゃ明らかに態度が違かったり。
そういうのを当たり前のものとして受け入れてきたけど、やっぱり異常だったんじゃないかって思う。終わってしまってからだと行ってよかったという感想にしかならないけど、心を壊してまで行く必要があったのかなって。
そういう私を否定してきたものたちと、戦える者にならなきゃいけないと思ってきた。でもそんなのって意味がないし、楽しくない。それで何者かになれたとして、幸せだろうか。呪われた者。
結局は私はそういう嫌ってきたものの一部になろうとしている。過去の私が見たらどう思うだろうか。よく考える。たぶん「やっぱりね」っていうと思う。
でもそこに含まれているからって私が変わるわけじゃない。過去の自分に囚われるのは呪いだと思うけど、それでも過去の自分を思ってやれるのは私しかいないし、「この先があるんだよ」っていうのを見せてあげたいと思ってる。
「この先があるんだよ」は左ききのエレンっていう漫画のセリフでとても好き。天才の絵かきが凡人の主人公の絵を直しながらつぶやいたセリフだったかな。
生きてるとそういうものにたまに出会う。この先があったんだって。
まだこの先を見せてあげることはできてないけど、少しずつ近づいてきているような気がする。
マシュマロ
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