何事にも本気になったことがない。大抵のことはそれなりに真面目にやるんだけど、本気でやることはない。

本気で頑張ってる人ってかっこよく見えるし、尊敬する。でもどうしてそんなに本気でやるんだろうって思っちゃう。

どんなことも死ぬまでの時間つぶしでしかなくて、どうせ天国には何も持っていけない。私はそう考えてしまう。

去年、一昨年くらいまでは結構真剣に創作(小説)に取り組んでたと思う。寝ても起きても小説のことを考えた。

でもそれは、それしかすることがなくて、就活の前にデビューしたいみたいな焦りもあって頑張れた。それでも本気だったかと聞かれたらたぶん余力はまだあったと思う。毎日暇だったのだからあの1.5倍くらいはきっと書けたはず。

自分には才能がないのだろうと知れたくらいには頑張った。才能っていうのはきっとたくさん壁の向こう側にあるもので、2つくらいの壁は乗り越えたんじゃないかなぁと思う。

そんなんで才能を語るなって言われると思う。才能っていうのは天井のないガチャみたいなもので、しかもあるかどうかもわからない。そんな博打は私にはできない。

でも才能はなくてもやれることはある。小説は書ける。本気は出せなくても頑張ったってあとから思えるようなものを書きたい。きっと私の人生において大切なものになると思う。

何かに熱中しないと人生に彩りがない。いったい何を目的に生きていけばいいのだろう。

最近淡い水彩絵の具のような色合いで人生がずっと濃淡なく彩られればそれでいいと思うようになった。

創作活動をやめてしまっても、創造的に生きたい。何か形に残すことはできなくても、自分の道を創りながら生きていきたい。

でもそれって生きる意味があるのだろうか。何も残さず、コンクリートの道の上に自分の道を創って歩いていく。そんなことに意味なんてあるのだろうか。

何かを本気でやるということは人生に意味を見出すことだと思う。ほとんどの人はそれが仕事であったり、趣味や恋なんだと思う。

何度も言ってる気がするけど、一人で生きてく人生に意味なんてあるのだろうか。二人で生きていけば最低でも相手の記憶に残る。

私のちっぽけな人生の意味なんて本当にそのくらいでいいのだけど、誰かを本気で好きになったりすることなんてできないよって思う。

どうしてみんなパートナーを必要とするのか理解できなかったのだけど、パートナーに自分の人生の意味を求めているのかもしれない。

人生に意味を求めたって、意味があってもなくても生きていくという結論になるのなら意味を求める必要がない。

でも私は意味がほしいし、意味がなきゃ生きられない。

天国には何も持っていけないと書いたけど、もしひとつだけ持っていけるものがあるとすればそれは記憶だと思う。

誰かが私の記憶を天国まで運んでくれるなんてとても素敵に聞こえる。それを人生の意味として私は生きていきたいと思う。