どうもにこです。

 僕は自分の自己肯定感を意識的に上げているつもりでいました。しかし最近それはただ誤魔化しているだけで、根本的な解決にはなっていないのではと思うようになりました。

 まずは少し僕のやってきた自己肯定感の上げ方を紹介します。だいたいは洗脳みたいなものです。

自分の好きなところを見つける

 僕は自分の手の指が好きです。これは母に指綺麗だね、と言われたおかげだと思ってます。たまに自分の指を眺めてます。他に好きな部分は……見つからないですね……。あ、背が小さいのはわりと気に入ってます。158せんちです(小声)。

 でも背が小さくて得することなんてないので、これも長年の洗脳の効果かもしれませんね〜。背が高いからなんなんだ、おおん?

気合いで嫌いなところを考えない

 頭に浮かんだ瞬間に思考をぶん殴ります。以上です。

他人を下げる

 あんまり褒められたことでないですが、他人を下げるのはいい方法な気がします。自分のラインまで他人の肯定感を下げる。

 あ〜私はダメだな〜、でも私がダメなんだったら他の人らもダメでしょ、だって同じ人間なんだから。です。人間なんてみんなそんなもんでしょ、と思い込むんです。

 ここからが本題?です。

 今まで書いてきた自己肯定感を上げる方法は結局、誤魔化してるだけな気がしてきました。自分の根本にあるものは変わらないのかもしれません。自分の根本に自分を否定するものがあるなんて変な話です。

 やっぱり幼少期が原因なのかな、と。ツイッターで幼少期に否定されてきた子供は自己肯定感が低いって見た気がします。確かに否定されてきた記憶はあります。

 人格を否定するようなものじゃないんです。何気ない小さな否定の積み重ね。例えば小学生のころ僕はそれなりに勉強ができたのでテストで悪い点を取るようなことはありませんでした。だからというわけじゃないんですけど、字が汚いって言われ続けましたね。先生とか親とか学童の先生にも言われた気がする。

 今は字を書くことなんてほとんどありません。字が汚いからなんだとも思ってます。ただ、自分の字は嫌いだし、字を書くことを避けているところもあります。

 話が逸れている気がするので戻すと、自分の根本には自己否定があって、それを覆うように隠すように自己肯定がある気がするんです。

 だから例えば、僕が上手く人と話せないのはその根本にある自己否定が悪さしているではないかということです。精神的欠点というか、そういう悪い部分の原因はすべてそこにあるじゃないかなと僕は思います。

 人と上手く関われないから自分が嫌いなんじゃなくて、根本に自己否定があって、そのせいで人と上手く関われないのでないかと。

 ただ、自己否定が根本にあるなんて生物としておかしい気がするので、本当の自己肯定が自己否定の中にあるんじゃないかなぁと今思いました。自己否定の硬い層を砕いて、本当の自己肯定に辿りつく方法をこれからは模索していきます。