どうもにこです。

 人類の何パーセントが恋とか愛について本気で考えたことがあるんでしょう。みんなあるのかな。

 恋なんてしないんだろうな、とぼんやり考える。最近、何というか色んなことを諦めている気がします。

 あれを恋と呼ぶのなら、最後に恋したのは高校のころ、4、5年前です。好きだったとは思うんですが、でも好きと恋ってまた別ですよね。延長線上にあるものだとは思いますけど。恋愛はスタートライン立ったこともない初心者なんで分からないです。

 好きだったんですけど、話したこともないし、その人も目立つタイプじゃなかったから、正直名前も覚えてないんです……。

 二年間同じクラスだった好きな人の名前を忘れるってどういうこと?

 今思いだすと、無色透明な恋をしていたと思います。これを恋と呼ぶのなら。無色透明な恋なんて存在しないんじゃない、というのが僕の自論です。

 たぶん名前とかどうでもよかったんですよ。好きな曲とか小説とおんなじ括りなんだと思います。「あの映画面白かったよね、あれ、なんだっけ?菅田将暉と有村架純の……」みたいな感じ。

 僕の恋は”推し”の感覚が一番近い表現な気がします。

 推しとファンの関係って絶対に縮まらな一定の距離だと思っていて、向こうからこちらへのアプローチを、関係性を継続するための条件に入れない一方向的な関係。

 どんな人とも一定の距離をとる、これは僕の対人関係全般に言えることで、まずここを治さないと恋愛にはなりませんね……。でもこれってたぶん生きていくために身につけた術なんですよ。簡単に捨てられるものじゃない。

 だったら恋なんてしなくていいんじゃないか、もしできたらラッキーだと思おう。イマココです。そう思い始めると恋が魅力的に見えなくなるんですよね。

 なんでそんな奴が恋とか愛とかについて真剣に考えているかというと創作のためです。自作を読んでて思うのが、恋愛の解像度の低さと恋愛への解釈の違いです。

 僕は恋愛のことを救い合いだと思って小説を書いてます。これは初めて読んだ恋愛が書かれた小説がノルウェイの森であったことが影響していると考えていますよ。恋愛価値感の土台があの作品のため、二股とかも仕方ないんじゃないかって思ってる。

 恋愛できない理由、絶対小説の読みすぎだと思うんですよね〜。小説的な恋愛を求めてるのかも。そういう恋愛を諦めてから、ようやくスタートラインに立てるんでしょうね。

 でも恋したいんですよ。だって恋したら今まで書けなかった領域の文章が書けるようになるもん。それで失恋なんてした日にはきっとたくさん小説が書ける気がする! 創作者として一回り成長できる!!

 恋愛って相手がいるので、そういう邪な動機で付き合っちゃダメです。そもそもこんな人間を好きな人なんてこの世にひとりもいないのです。はい、ありがとうございました。